沖縄「本土」復帰50年 街頭行動を行いました

■ボールはわれわれ本土になげられている

今日は5月15日、沖縄復帰から50年目の節目の日を迎えています。

県民の4人に一人が犠牲になるという凄惨な地上戦、さらに戦後27年間にもわたるアメリカによる統治という過酷な経験を経て、沖縄は「基地のない平和の島へ」という切なる願いで、本土に復帰して50年。早半世紀の時間が経過しました。

しかし、沖縄の現状は如何でしょうか?国土面積わずか0.6%の沖縄に、70%を超える米軍専用基地という過重な基地負担が続いてます。さらには、辺野古新基地建設が強行されています。各種の国政選挙や県知事選挙、そして、2019年の県民投票においても、沖縄県民の新基地建設反対の圧倒的な民意は明確に示されているにもかかわらず、辺野古が唯一の選択肢として、県民の意思を一顧だにしない、思考停止の政府の判断は、地方自治をもないがしろにした暴挙だと言わざるをえません。

何故このような状況が続いているのでしょうか?その責任は本土のわれわれにあると、私たちは考えています。

もともと沖縄にたくさんの基地があったわけではありません。

戦後の比率は本土9:沖縄1,復帰の時点で1:1,それが現在本土1:沖縄3となりました。本土では米軍基地の反対運動が盛んになり、海兵隊基地など、その多くが沖縄に移転され、沖縄の基地は倍になったのです。

かつて、福岡も基地の町でありました。戦前民間の土地を強制収容して出来た席田飛行場が板付基地となり、朝鮮戦争の折りの最前線基地となりました。この福岡のまちでもジェット戦闘機の墜落事故など100件前後の基地被害が発生していました。そして、1968年6月2日、九州大学キャンパスに建設中だった大型電子計算センターにファントムが墜落したのです。私は側の市内電車で通学していましたので、翌朝白い煙が上がる景色を覚えています。この事件は九大闘争とも重なり、市民運動としての基地撤去運動が高まり、4年後の1972年、板付基地は返還され、民間空港である福岡空港となりました。

われわれの前から基地がなくなりました。そして米軍基地の存在は自分ごとではなくなりました。

60年代、70年代、このような米軍基地撤去運動が全国でおきていたのです。そして、今や日米安保体制への国民の支持は8割を超えています。国全体の問題であるはずの一国の安全保障の問題を一人沖縄に負担を押しつけ、その犠牲の上に、我が国の安全保障政策は成立していると言わねばなりません。

われわれは何処まで沖縄に甘えていればよいのでしょうか?

振り返れば、薩摩侵攻、武力による琉球処分。かつての琉球王国は、まさに万国津梁の地として、栄えていました。しかし、先の大戦では、本土決戦のための捨て石として、人類史上、もっとも凄惨とも言われる沖縄戦、まさに今起きているロシアのウクライナ侵攻以上と言っても過言ではないほどの悲劇が繰り広げられていたのです。そして、戦後は銃剣とブルトーザーによる米軍基地建設、27年間にわたる米軍統治、、、未だに続く過重な基地負担、まさにこれは沖縄に対する、構造的差別の結果であると言って過言ではないだろうと思います。

そのような中での50年前の「基地のない平和な島」との切なる願いの中での沖縄の復帰。

復帰にあたって当時の琉球政府は建議書を日本政府に提出しようとしていました。その建議書を抱いて屋良主席が羽田空港に降り立った折、国会では沖縄返還協定の承認が強行採決されていました。屋良主席は、「破れた草履のように踏みにじられた」と憤激されていました。建議書で指摘されていた懸念は放置され、今日に至っています。今回改めて、沖縄県から建議書が提出されていますが、その内容は50年前の建議書と同様のものであると言っても過言ではありません。

本土の我々は、沖縄の復帰50年の節目にあたり、改めて、沖縄の基地問題のボールはわれわれ本土になげられていること。沖縄を再び捨て石にする安全保障政策は決して許してはならないこと。これまで沖縄に押しつけてきた基地は本土で引き取り、米軍基地問題は日本全体の問題として、国民全体で議論し解決していくべきであること。さらには沖縄が万国津梁の地として、東アジアの平和の要石となることを祈念し、訴えを終わります。

2022年5月15日

本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会(FIRBO)

吉村慎一


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■沖縄の「本土」復帰50年にあたって

たった0.6%の島に70%の米軍専用施設というあまりにも不平等な現状があり、沖縄県民の度重なるNOという声にも関わらず基地は減らず、政府は一顧だにせず辺野古新基地建設を進めています。

昨今の研究や報道で明らかになってきたように、その基地は、私たちの目の前にあったものが沖縄に移転されたもの、つまり、私たちの安寧と引き換えに沖縄に押し付けられていったものだったのです。

そのような歴史を踏まえると、

「同じ温度感で沖縄の痛みを感じて」

ではまだまだ足りず、

私たち「本土」の人間こそが日々加害の側にいるということを改めて認識し、現状を是正していく責任があります。

沖縄への加害状態をやめる、そのための基地引き取りという選択肢は、賛成派も反対派も、無関心層もそうでない人も、「本土」に暮らすあまねく主権者にとって、逃れられない前提としてとらえるのが妥当です。

「本土」の私たちは、もういい加減、沖縄の足を踏みながら握手を迫る気持ち悪い人間でいつづけるのはやめなければなりません。

未来への議論をはじめましょう。


2022年5月15日

本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会(FIRBO)

代表 里村


同日福岡市天神で街頭行動を行いました

本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会(FIRBO)

福岡で基地引き取り運動をしているグループです。沖縄の米軍基地の過重負担について「本土」で何ができるかを考えています。勉強会、講演、ひきとり新聞の発行等を行う市民運動です。参加者募集中!