映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』感想

映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』が福岡市KBCシネマで公開されました。福岡ではすでに上映が終了してしまいましたが、全国順次公開中です。まだの方にはぜひご覧いただきたいと思い、FIRBOメンバー4人がそれぞれの感想を投稿します。

http://chimugurisa.net/

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この映画全編の基調低音となっている沖縄のことば、「ちむぐりさ:あなたが悲しいと私も悲しい」は、私たちが忘れがちな「共感」の人間味深いあり方を思い起こさせてくれました。

石川県・能登半島からやってきた少女、菜の花さんが通う那覇のフリースクールには、夜間中学が併設されていて、戦争直後の沖縄で学習機会を奪われたお年寄りが楽しそうに夜間中学に通っています。おじい、おばあが菜の花さんたち若者に三線やうちなーぐち(沖縄のことば)を教え、若者たちがおじい、おばあの数学や英語のチューター役をつとめ、学芸会ではいっしょに劇を演じるなど、両者が友情を交わすシーンが、沖縄の現況を背景として淡々と描かれます。年代をはるかに隔てた人たちの間の友情もいいものだな、と思うとともに、米軍基地が我が物顔でのさばる沖縄の<今>、そして<これまで>の過酷さに息をのみます。

沖縄に渡った菜の花さんが真っ先に訪ねたのは、辺野古新基地建設現場でした。そして基地について調べる中で、菜の花さんは、故郷に近い内灘が本土における米軍基地反対運動の口火となったこととともに、本土の反対闘争で撤収した米軍基地が沖縄に移設されてきたことも知ります。

映画の終わりの方で、県民投票時に辺野古の新基地建設現場を訪れた菜の花さんは、現地の漁師の「沖縄も、日本もアメリカの植民地さぁ」という言葉に涙します。

この菜の花さんの「ちむぐりさ」の涙に呼応する活動として、私に何ができるのかと考えさせられ、心に刻まれたシーンでした。  (門倉正美)


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ちむぐりさ

あなたが悲しいと、私も悲しい

沖縄の言葉、ウチナーグチには

「悲しい」という言葉はない。

それに近い言葉は「肝(ちむ)ぐりさ」。

誰かの心の痛みを自分の悲しみとして、一緒に胸を痛めること。

それがウチナーンチュの心、ちむぐりさ。

このドキュメンタリー映画の主人公、坂本菜の花さんが一番好きなウチナーグチが「ちむぐりさ」なのだ。

この映画は彼女が紡いだ「菜の花の沖縄日記」(北陸中日新聞連載コラム)を平良いずみさんがドキュメンタリー映画に仕立てたもの。彼女の沖縄での日々は、奇しくも「オール沖縄」をつくりあげた翁長雄志さんが知事に就任し、非業の病に倒れる激動の3年間と重なる。

菜の花さんが、自分の眼で見て、自分の耳で聴いて、自分が加害の側の一員であることに気が付き、傷つき、自分にできることは何かを、自分の頭で一生懸命考え模索していった、瑞々しい心の軌跡が描かれていた。

僕が引き取り運動にかかわるようになったのも、沖縄への過重な基地負担の加害の側の一員であることに気づいたこと、沖縄の基地問題を自分ごととして考えること大切さに気づいたことからだった。あれから4年が経過し、どこかに訳知り顔になっていた自分に気が付かされたような気がする。自分の眼で見て、自分の耳で聴いて、自分の頭で考え、自分にできることは何なのか、改めて考えてみようと思う。

そして、この映画一人でも多くの人に見て欲しいと思う。(吉村慎一)


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菜の花ちゃんの素直さと行動力に感動しながら、彼女と一緒になったつもりで画面を追いました。

そこには、沖縄の人たちの我慢強さとやさしさと笑顔にあふれた日常が描かれていました。

でもこの笑顔は、日々の生活の中で蓄積される怒りと不安と苦悩、そして無力感、失望感に懸命に耐えようとする笑顔であることもよくわかるだけに、とても切なく、悲しく、やるせない思いが胸にこみ上げました。

また、彼らにそれを押し付けた罪深さを再認識すると同時にその償いもできずにいる自分自身の無力さも痛感し、大変申し訳なく思いながら映画を見終わりました。

問題は、知事選をはじめとした選挙活動、辺野古・普天間での現地闘争、全県集会、署名活動、県民投票等々可能な限りの活動がなされても、国家権力を前にして沖縄だけの思い、主張、叫びではどうすることできない状況にあること。

展望の見えない戦いの中で、一人ひとりの心にも無力感、失望感、倦怠感が広がり始めていること。

その結果、どうせダメならと条件交渉に向かう人、展望が見えなくとも子供や孫たちのために戦い続ける覚悟を決める人等、県民が大きく2つに分断され始めていること。

翁長、デニー知事を先頭とした「オール沖縄」の戦いが危機に瀕しています。

さらに、この危機をコロナ禍がデニー知事の立場を一層不安定にさせ、2年後に控えた知事選にも大きな影響を与えかねないところまで来ています。

こうした沖縄の苦悩を押し付けた一人として、また同じ国民として仲間として何ができるのか、戦いの先に明かりを見出せるような起死回生策はあるのか、彼らへの償いのためにも真剣に模索し続ける義務を痛感しています。(山内輝光・秀子)


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ちむぐりさとはウチナーグチで、人の痛みに自分の胸を痛めることだそうです。この映画は石川県出身の少女が沖縄のユニークな学校に入り、そこで沖縄の人々と交流する姿を描いたドキュメントです。基地の存在に押しつぶされながら、懸命に生きる人々と、菜の花というかわいい名前の少女の成長を描きながら、本土と沖縄の厳然とした格差、差別の現実を私たちに問うています。主題歌はフォークルの懐かしい「悲しくてやりきれない」のウチナーグチ版で、これも良かった。福岡県では、KBCシネマで一週間しか上映されませんが、ぜひご覧ください。今年の一番です。(西村 有史)

本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会(FIRBO)

福岡で基地引き取り運動をしているグループです。沖縄の米軍基地の過重負担について「本土」で何ができるかを考えています。勉強会、講演、ひきとり新聞の発行等を行う市民運動です。参加者募集中!