沖縄で開催された「緊急シンポジウム 『辺野古新基地建設を止めるもう一つの取り組み〜県外移設を再確認する〜』」に行ってきました。
ゴールデンウィークで行事が重なるなか会場には200名近くが集まり熱っぽい雰囲気でした。ストーリーも筋の通った提言もあり、かつ次の議論も喚起するすばらしいシンポジウムでした。
伊佐眞一さんの基調講演では、近代から現代まで首尾一貫して沖縄を新しい領土として"統治"の対象にしてきた日本政府と日本人の価値観、そして率先してそれに同化してきた沖縄人の歴史をふりかえり、沖縄人が日本人にとっても耳の痛い「県外移設」を訴えるためには、まずは日本に対する「卑屈な心」や「弱さ」に向き合う必要があり、ひとりひとりが人間を変えていく覚悟をもつべきだという主張は深く印象に残りました。
そこでふと思ったのです。「県外移設」という当然の要求すら口に出すことさえできなくさせているのは何か。なぜ、「県外移設」が自らのやわらかな心の奥深くまで分け入ってえぐり出さなければ言うことができない重たいものとなっているのか。
琉球処分、沖縄戦、米軍施政権下、基地の過重負担と、本土が沖縄に強いてきた犠牲の押しつけによって、日本人は144年間、沖縄を差別し利益を得てきました。沖縄の人たちを分断し、怒らせ、悲しませ、深く深く傷つけているその主体は一体誰か、そこまでしんどい作業を強いているのは誰なのかーー
それはまぎれもなく、私たち「本土」の人間です。私たち日本人が沖縄を差別し踏みつけることで平和と安全と繁栄を享受し、さらにいまここで沖縄人に反省まで迫っている。そのことを考えると、私はそこで小さく小さくならざるを得ませんでした。
ひるがえって「本土」の人間に何ができるのでしょうか。それは、自らの“おぞましい”加害者性と向き合う勇気ではないでしょうか。そして「本土」に沖縄の米軍基地を引き取る覚悟ではないでしょうか。
沖日の歴史をふりかえれば、どんな手を使ってでも、いますぐに基地を引き取ってもお釣りが出るほど、私たちは過去から現在進行形で沖縄に犠牲を強いてきています。護憲派/改憲派含め、安保論議は引き取った後にはじめるのが筋でもあります。
何とかしなければなりません。そのために、「本土」のすべての自治体を候補地として民主的な引き取りの実現をという本シンポジウムの提言(※)を真摯に受けとめ、沖縄からの「県外移設」という当たり前の要求は、私たちにとって当たり前の責任なのだと「本土」の人たちに訴えかけ、この基地引き取りという運動を広げていきたいと考えています。
沖縄の人たちが向き合っている勇気と覚悟を目の当たりにしたことで、それを強いている日本人のひとりとして、これ以上加害者・差別者であることをやめたいとさらに強く、感じています。
そして、関係性を切り結びたいと心から願います。
(里)
※シンポジウム提言
沖縄が強いられてきた琉球併合から現在の米軍基地集中に至る歴史的・構造的差別に鑑み、また民意を無視し進められている辺野古新基地建設に反対する沖縄の痛切な声として、私たちは日本本土に暮らすすべての人びとに対し、以下のとおり提言する。また、それぞれが自らの責任として、自分の住む町で地方自治法99条(*)に基づいた意見書の採択を求める陳情・請願などの具体的な行動を求める。
1.辺野古新基地建設工事を直ちに中止し、普天間飛行場を直ちに運用停止にすること。
2.米軍普天間飛行場の移設先について、沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とすること。
3.その際、基地が必要か否か、日本国内に必要か否かも含めて、当事者意識を持った国民的議論を行うこと。
4.国民的議論において普天間飛行場の移設先が国内に必要だという結論になるのなら、その移設先については、民主主義及び憲法の精神に則り、一地域への一方的な押付けとならないよう、公正で民主的な手続きにより決定すること。
*地方自治法99条 普通地方公共団体の議会は、当該普通地方公共団体の公益に関する事件につき意見書を国会又は関係行政庁に提出することができる。
2017年4月29日
「辺野古新基地建設を止めるもう一つの取り組み」実行委員会一同
参考:琉球新報社説(2017年5月2日)
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