この文章を書いている今日、辺野古設計変更の代執行訴訟が行われ、即日結審した。米軍の新基地建設のために民主主義や法治主義、地方自治を踏みにじり玉城デニー沖縄県知事を追い詰める日本政府の暴力に怒りを覚える。しかし同時に、この怒りもいつか日常に霧散していくのかもしれない自分の無責任な様子を想像し身ぶるいする。
県知事選や県民投票、数ある大型選挙を通し沖縄県民は何度もノーの意思を表示しつづけてきた。にも関わらず、県がイエスと言うまで国は無慈悲ななたをふるってくる。そしてその瞬間を待っているのは、国だけではなく、実は私たち「本土」の人間なんじゃないか。
そんなことを思いながら、デニー知事の陳述の全文を読んだ。そして改めてビンタされたような気持ちになった。それは、「本土」に対して基地を引き取れと求める痛烈な県外移設の主張だったからだ。デニー知事は、沖縄戦の凄惨な歴史、「本土」から移設され集約された米軍、今も続く夥しい基地被害という歴史的背景に触れ、「国が「辺野古が唯一」とする理由は、結局のところ、県外移設に対する県外の反発を恐れ、県内移設ありきで物事を解決しようとするものでしかない」と断じる。そして、「安全保障を国民全体で考え米軍基地を日本全体で負担する必要があることについて」、「果たして、それはどれほど行われているのでしょうか」と疑問を呈してもいる。
デニー知事にここまで言わせなければならなかったのは、「本土」で基地引き取りの議論の機運を高めることができなかったからじゃないか。そんな思いが頭をめぐった。
三権分立や地方自治を踏みにじる政府の暴挙に怒りをむけることは当然であるが、同時に一刻も早く国民レベルで基地引き取りの議論を始める必要がある。これ以上の差別者でいることをやめたい。(S)
(ひきとり新聞第19号のニュースを順にテキストで紹介していきます。)
以下全文(出典:沖縄県庁)
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