みなさんこんにちは。
引き取り運動について寄せられた疑問にFIRBOメンバーがお答えする新企画のスタートです。
記念すべき第1号は節さんによるアンサーです。
Q1. 本土の米軍基地にも基地被害があるのでは?
A. 本土でも米軍基地の周辺では基地被害があったことは確か。しかし住民による反基地運動の結果そのほとんどが沖縄に移り、現在はたった0.6%の小さな土地に74%の米軍基地が集中している。沖縄にしわよせしてしまった責任はとらなければならないし、これ以上の重荷を沖縄にかけてはならない。
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私は現在志免町に45年住んでいる。すぐ近くには福岡空港や博多の森がある。
45年ほど前、博多区に隣接したこの地は行き止まりのフェンスに囲まれた板付米軍基地であった。
こんもりとした森を越えた月隈のバス道路の両端はフェンスが続き、異様な雰囲気がただよっていた。米軍機が飛び立つ真下にあった小学校は子どもたちが危険にさらされた為、学校移転の住民運動によって現在は滑走路からはずれた森の中に立っている。
しかしこの地も今や、各種サッカー場、陸上競技場、テニスコート、弓道場、アスレチックを備えた公園もある市民のいこいの場所になっている。
はて? 米軍はどこに行ったのか。
沖縄である。
福岡地区には、春日原、東区の雁の巣にも同じような風景があった。有害薬物の汚染が危惧され、住むには適さない跡地は姿を変え、今やレクリエーション地と変ぼうしている。
一方で、米国の統治から本土復帰の喜びにわいた沖縄では、皮肉にも、本土復帰とともに本土から移転して来た基地の重荷を負わされた。福岡県からだけではなく、他県にあった米軍基地も同様に沖縄に移されたのだ。それが、74%にも沖縄に一極集中してしまった現在の基地被害の現実である。
本土では住民運動による基地反対運動がなされ、その地からは基地がなくなったのだが、それがきちんと解消されず、沖縄にしわよせしてしまった責任はとらなければならないと考える。このことすら本土の人間は知らないままですごしているのだ。
大田知事の時代、政府のゴリ押しで代理署名というひれつな手段がとられた。
今、翁長知事をはじめオール沖縄の人々が基地はもういらないと生存権をかけた戦いを日々行っている。
沖縄戦で本土の捨て石にされた歴史は沖縄の人々の生の中にしみこんでいる。
これ以上の重荷を沖縄にかけてはならない。沖縄に連帯と声高に声を上げる戦いもある。しかし、今もう一つ、基地をひきとることで沖縄の痛みと同じ立場に立たなければ連帯にならないのではないかと考える。
(節)
(写真提供・福岡市)
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