「オスプレイを沖縄に戻すな!」

米軍の新型輸送機オスプレイが大分空港に緊急着陸してから5日で1週間。報道によれば、米軍はトラブルが起きたエンジンの交換作業に取り組んだが、離陸のめどは立っていない。

↓ の写真は、壊れたオスプレイを臨む大分空港の高台に連日通うAさんが掲げたプラカード。


物見客が集まる高台の入り口付近に置いておくと、人びとが次々に記念撮影をはじめるばかりか、そこから議論がはじまると言う。


「オスプレイは沖縄に戻すな!」


このAさんの端的なメッセージは、基地引き取り運動の核心をついていると思う。

誰もがこの危険な飛行機を自分のそばに置いておきたくないと考えるとき、なぜ、沖縄ばかりにそれが置かれる結果になるのか。


「今までは無理して、思い込むように普天間や高江に想いを馳せてたけど、大分空港で普天間所属のオスプレイを皆でキャッキャして写真を撮り、ワイワイしてる中で、逆説的に想いが馳せた。何か違う。強烈な違和感。初めて体で感じた。自然に。この高台は異様な場所になっている。「日本人=安保の被害者」という図式はこの高台で破綻した。「日本人=安保被害者」という人はこの地に来て思い知ればいい」(Aさん)


そう、一事が万事、他人事なのだ。厄介者が一時的なものだとわかっているからこそ、話題のオスプレイを観光気分で見物しに来ることができる。

よく、引き取り運動に反対する人たちから「沖縄県民だけではなく、日本人全員がアメリカの被害者であり安保の被害者である(だから沖縄の基地負担解消を率先してするのではなく、沖縄からも本土からもすべての基地をなくす運動をすべきである)」という批判を受けるけれど、この高台の光景の話を耳にすると、あまねく日本人は平等に安保の被害者であると言ってしまうことはとても無理があることだとわかる。


Aさんは見物客の集まる高台で、連日メガホンでこう叫んでいるという。


「日本にオスプレイの居場所はないっちゃ。沖縄にもオスプレイの居場所は無いっちゃ。ここで修理しても、また沖縄の空で、沖縄の人達の上で飛ぶんだろう? そしてまた堕ちるんだろう? もうここでスクラップしようっちゃ!」


  

Aさんの話を聞いてつくづく思うのは、オスプレイを沖縄に戻してホッとする自分たちは何なのかということについてとことん向き合ってみる必要があるということ。

オスプレイはやはり、「本土」の私たちの手でスクラップにしなくちゃならない。

(里)

FIRBO

本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会 Fukuoka Initiative for Return of U.S. Military Bases in Okinawa to Mainland Japan